あくまでも観客席から

アイドルにかじりついた記録を残したい人のブログ。

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アイドル評論同人誌『ソシゴト vol.4』を読んで。その2

 

※2013.11.24 誤字脱字を一部修正しました

 

先日書いたアイドル批評誌『ソシゴト vol.4』の感想ですが、7つの論考のうち3つまでしか紹介・感想が書けなかったので、今回は残りの4つについて書いていきたいと思います。

 

ちなみに重複しますが今回の『ソシゴト』は、「アイドル×リベラル・アーツ」をテーマにしていて、記事ごとに学問の軸を定め、そこから「アイドル」を見ていこうという試みがなされています。アイドルを「学際的キャンパス」としてまとめたプロダクトは他にはないと思われるので、非常に興味深い一冊になっています。

 

では、各論考へ。

 

●アイドル×経済学・経営学『女性アイドル・グループにおけるブーム形成の理論構築とその適用――経済学・経営学的観点から(前編)』Cute Strategy

外資系コンサルティング会社でマネージャーを務める著者が、その武器を存分に活かしてアイドルを経済的・経営的視点から分析している記事です。今回の前編部分では大きく「アイドル市場の定義・分析」「AKB48グループとももいろクローバーZのビジネスモデル比較分析」がなされています。今や複雑なメディアと化しているアイドルをビジネス領域としてどこで収益を上げているかや、その収入の要素の利益率比較などを、まとまった図にしている点は、学問としてのみならずアイドル関係者への資料としても価値が高いのではないかと思います。昨今のアイドル乱立状態も、Five Force分析を通して新規参入が難しくないことなどが理解できる分析です。後半の主にAKB48に主眼が置かれたマーケティング戦略分析では、AKBの統合的かつ循環性の高いモデルをまとめた図が非常にわかりやすいです。「ああ、俺はこうやって秋元康に搾取されてるんだな」っていうのがよくわかります(笑)。欲を言えば、参考資料について注釈がほしかったですね。数字について直接参照してみたいものが多くありました。後編にも期待です。

 

●アイドル×歴史学『都市消費文化におけるアイドルファン――DSKから現在まで』紀州

この論考では70年代ごろからの「アイドルの歴史」をひもときつつも、都市消費文化として捉えると20年代頃からの少女歌劇団(そのひとつが福井にあった「DSK(だるま屋少女歌劇団)」だという)もその一部と見ることができると指摘しています。宝塚を始めとした少女歌劇団の中にも、現在のハロー!プロジェクトなどにも言われる「ソフトレズ」的なものがファンの間で容認されるという同様の現象があり、それが「社会的に規定される性的コードの外におかれる」というのは興味深い話です。ここでは「女性アイドルが内包する年齢と性の政治学の問題」について広げるまでは至っていませんが、後述する「セクシュアリティ」を核に論を展開している中村香住さんとクロストークやらクロスレビューしたら面白いのではないかなと感じました。

 

●アイドル×ジェンダー論『AKB48のクィアな可能性――多様な〈性〉が蠢く機関』中村 香住

著者の中村さんは、普段フォローさせていただいるTwitterでも積極的に発信をされている方なので非常に興味深く読むことができました。ご自身の熱というか愛情がどの部分により注がれているかというのがよく読み取れましたね。まず「クィア」という概念はセクシュアルマイノリティの中でも比較的新しい概念らしく、「レズ」やらなんやら「これだ!」と決めるのではなく「一般とは違うもの、それでいいじゃん!」とマイノリティ側がある種開き直ってマイノリティの外側・あるいは内側どうしの対立を防ごうというものだそうです。この論考ではその「クィア」、言い換えると前述の「ソフトレズの容認」という現象がAKB48グループ内ではSNSなどを通してむしろ積極的に表現されるということを様々な現象(特に中村さんの推しメンの周囲!)から教えてくれています。「マイノリティ」の趣味はクローズドな空間で「行わざるを得ない」はずなのが、『ヘビーローテーション』のMVを初めとして積極的に発信できるし容認されるという指摘が、「マイノリティ」的な立場からも前述の紀州さんの論考と重なるという部分が面白かったです。もし今後もアイドルと絡ませて「クィア論」を書かれるのであれば、他のアイドルではどうなのか、AKB48が特殊なのかどうかを比較検討していくとより浮き上がるものが出てくるような気がしますね。

 

●アイドル×映画学『映画学からアイドル学へ愛をこめて――君の瞳にLOVE修行』數藤 友亮

僕は映画評論の世界に詳しくないのもあって(初めて手に取った蓮實重彦さんの本が苦手で受け付けなかった)、いわゆる映画評論内のポリシーについてはうまくくみ取れなかったのですが、映画はあくまでも1対nであるというある種悲しい部分は、アイドルのステージが1対nでありながらも「レス」を通して瞬間的に1対1になりうる(と思える)という希望があるということについてはなんとなく理解できました。ただ、「映画を見る体験を批評として再現することは難しい」ということをアイドル批評においてはどう可能なのかについては僕の頭ではついていけなかったのが悔しいです。どなたかに解説をいただけるとうれしいです…。。

 

●アイドル×宗教学『アイドルの秘跡――『少女民俗学』、「あまちゃん」、折口信夫から読み解くアイドル神学ノート』遠藤 富泰

今回のメイン編集者でもあり、宗教学を専攻する遠藤さんの論考。これを読む前に昨年炎上タイトルで話題になった濱野智史さんの『前田敦子はキリストを超えた』やその濱野さんと遠藤さんがアイドルと宗教学について話している『ソシゴト vol.3』を読むとより面白く読めてきます。要は「現代のアイドルは「巫女」的な要素がいろんなところから見てもあるよ」というお話。まずはアイドルが活動する「場」は「祭り」であること(『あまちゃん』のユイちゃんがミス北鉄としてお披露目されるのもお祭り)。そして「神推し」の対象であるアイドルは「神ではなく巫女」であること、「巫女」が活躍するライブと握手会は「教会」であること。なるほどと思わせてくれるものばかり。1つ気になるのは、「アイドルは代替可能であるから神ではなく巫女」だとして、我々アイドルファンが巫女を通してみる「神」とはどんなものなのか、についてまでは言及がなかったこと(宗教学的には重要ではない?)でした。もし続きがあるのであれば、ぜひ「アイドルに見る宗教」の完全版を読んでみたいですね。

  

うん、改めて読み返しながら思うのは、各論考とも濃厚なこと! 研究者の方も多いようですので、ぜひ専門分野の道を究めつつ、アイドルへの応用もしていっていただけると、アイドルファンとしても、アイドル論考ファンとしてもうれしいですね。

 

なぜアイドル批評において今回の「アイドル×リベラル・アーツ」の取り組みが素晴らしいか。それは、趣味分野の批評においてありがちな主観的主張のみでは汎用性が持てないからです。自らが持つ情熱をいかに客体化して、アイドルファンの外にも伝えられるか、が重要であると自分は考えるからです。アイドルをかたどるには、外から何かしらのものさしで計る必要があるわけです。その点において「○○学」とものさしをあらかじめ打ち出しているソシゴトは、実験的かつ面白い取り組みをしたんじゃないかと感じています。

 

もし次号も学問的な方向に触れるのであれば、「アイドルを何を通して見るのか」を各論考の前段なりでより明確にしておく(なになに理論とか?)ともっともっと「アイドル」というものが浮き彫りになっていくのではとも感じました。次号も期待しております!

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ソシゴトvol.4 アイドル×リベラル・アーツ

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